kentatansansuiのブログ

このブログでは、いろんなことをもっと根本の所からみてもらおうという思いの元書いております。普段あまり哲学的なことを考える機会がすくないのではないでしょうか。哲学というのは日常生活にあふれており普段からなじみのあるものです。一緒に哲学を考えてみませんか。日常の疑問についても書いていきたいと思っています。

運命は本当に存在するのか

こんにちは
 
炭酸水ケンタです。昨日まで若干調子がよくなくて、どうやったら治るものなのか考えながらも外に出ていました。
最近早く寝て遅く起きるというのを実践したらいいんじゃないかなとか思ったりしています。
例えば、10時に寝て5時に起きるとか。そっからブログの更新をしたりその日その日の課題をしたりだとかをしだす。
結構いいかもです。
最近何となくストレスたまり気味なので、身体を動かしたいですね。あまりストレスというのがどういう感じなのかわかりませんが。
何となくたまってる感じがします。
 
 
雑談はこれくらいにしておいて今日のテーマに入っていきたいと思います。
 
 
今日のテーマは  運命   ついてです。
 
 
読者の皆様も一度は運命について考えたことがあるのではないでしょうか。
恋愛において述べるならば、自分にとっての運命の人はこの人だとか、この人なしでは生きていけないとか言った感じです。
その他にも、ここでこれを買えたのは運命だったとか。(ちょっと違う感じもしますがそれは置いといて)
 
 
 
けれど、よくよく考えてみると、これやっぱり違うんじゃないかとか、時間がたつにつれて何となく自分の思っていた感じと違うなとか思ったりします。
なので、運命というのは所詮感情論では、とか一時的なものなので信用ならないなとか思ったりするかもしれません。(これは自分だけなのかな)
 
 
また、たまに運命なんて信じないぞ。これは僕が生まれた時から決まっていた未来なんだとか、予定説的な考え方で運命論をそもそも否定してしまうという考え方。
 
 
いろんな考え方があると思いますが、日本における運命という概念はいったいどこから来たのでしょうか?
僕自身も全く知らないのですが、自分なりに仮説を立てたいと思います。
 
運命とは何処ぞから来たのか
 
運命はどこから来たのでしょうか。(日本においては)
僕自身感じるのは、日本における運命の考え方は、日本の伝統的な考え方からきているのかもしれないといった仮説です。
 
 
それのもとになってるのではないかと思った考え方は、一期一会です。
 
 
 
一期一会というのは、その一回一回の出会いを大切にしようという考え方です。もしかすると、この一回の出会いはもうないかもしれないといった前提の上にできた考え方ですね。
けれど、決してもうこの人とは会いたくないとか、絶対一回だけしか会えへんからなとかではありません。
 
 
個々人と気持ちとしてはあるかもしれませんが、言葉の意味はそんな意味ではないです。もっと素敵な言葉です。
もう日本中で有名な明石家さんまさんもそういった考えをしてりうのではないかと思っています。ちょっと意味は違ってきますが、さんまさんはプライベートであっても決してサインを
断らないというのを見たことがあります。それというのは、そのサインがほしい人の中には、病気で苦しんでいる子がいたりするかもしれないからです。自分のサインをもらうことによって
少しでも元気になってもらえるなら断らないということです。本当に素敵な方だと思います。
そして彼の考え方も僕の感じでは、一期一会的な感覚に少し近いところがあるのではないかなというところがあります。
 
 
 
話を戻すと、日本にとって運命の考え方のもとになっているのは、一期一会ではないかという僕の仮説ということです。
 
 
次に運命とは本当に存在するのかといったことを述べていきたいと思います。僕の考えを中心に書いていきたいと思います。
 
 
 
運命とは本当に存在するのか
 
僕がもし誰かに本当に運命というのが存在するのかと聞かれたら、僕はノーと答えます。上に書いた通り運命というのは
一時の感情論に過ぎないのではと思っているからです。
人の感情というのは本当に左右されやすいです。もしそれが操作された感情だったとしてもそれを運命と感じますか?
もしそれを後で知ってしまったら後でとんでもないショックを受けますよね。
僕が運命を信じないのは後でショックを受けたくないという心理的なものも確かにあります。僕自身そんなに精神的に強くない人なので。(最近涙腺が弱いです。関係ないですけど)
 
 
けれど、もし僕が運命の物や人にあったとしても、違う考え方をします。というか、まず疑いから入ります。(だからひねくれものとか言われる)
その時点でまず運命という考え方が崩れますけどね。
 
 
僕は運命というかそれ自身を小さな幸せの瞬間ととらえます。それ=運命じゃない?と思われるかもしれませんが
僕は頑固なので絶対違うと答えます。そもそも、自分の考え方的には一緒の領域に幸せと運命は存在しません。
 
 
どんどん話が見えなくなっていきますが、
幸せとは、自分の中では、たまるものと思っています。一方で運命とはその場限りたまらないのではと思っています。
運命とはそもそもたまった時点で運命じゃない気がしています。
その都度その都度、運命は新しくなっていきます。けれど、幸せは新しくなりません。なのでその辺がちがうのでは、と思ったりします。
 
 
 
運命についての考え方は本当に人によって考え方は様々で、答えはないじゃないかと思います。確かに、考え方が似ている人は十二分にいることは考えられますが、一緒ではないはずです。
 
 
最後に、もし運命という考え方について考えたことが無い方がいれば、自分の経験や思っていることがなんでも照らし合わせてみて、考えてみてください。
きっと自分の核の考え方が見えると思います。もしわからないならば、だれかと話し合ってみてください。きっと面白い考えが生まれるはずです。
 
 
 
もしもうすでに持っている方がいれば、教えてください。反対意見などお待ちしております。反対意見を言われれば傷つくのはみんな一緒だと思います。けれど、言われることによって自分の
考え方がより洗礼されていくので、いいチャンスと僕は考えています。
 
 
 
これにて今日は終わりにします。読んでくださってありがとうございます。
 
 

 参考までに幸せとはの記事も貼っておきます。そして、考えるのに役に立つのではないかなと思った本と共に。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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