kentatansansuiのブログ

このブログでは、いろんなことをもっと根本の所からみてもらおうという思いの元書いております。普段あまり哲学的なことを考える機会がすくないのではないでしょうか。哲学というのは日常生活にあふれており普段からなじみのあるものです。一緒に哲学を考えてみませんか。日常の疑問についても書いていきたいと思っています。

幸せとは

こんにちは、炭酸水ケンタです。三日連続の投稿になります。僕が三日連続の投稿って今日で飽きてしまいそうで怖いです。まあ最近はあまり外に出る用事がないので、ブログ書くか家で映画見たりとか結構インドアになってしまっています。小学校のころは毎日ドッチボールして鬼ごっこしてたのに。大学生になって身体がなまってとてもじゃないけど鬼ごっこはできません。この歳でしていたら恥ずかしいか。
 
雑談はこの辺にしておいて、今日のテーマに移りましょう。今日のテーマは
 
じゃじゃん
 
幸せとは何か
 
です。
 
自分にとって幸せとは何かについて一度は考えたことがあるのではないでしょうか。僕は大学生とだいぶ年をとってしまったので(鬼ごっこもできなくなったくらい)、何度か考えたことがあります。
 
 
まず一般に僕が思っている幸せとはについて話した後に、僕にとっての幸せとは何かについて書きたいと思います。
 
 
まず僕が思う一般的な幸せとは
 
 
一般的な幸せ
僕が思う一般的な幸せというのは、まず一番に思うのが家庭を持ち子供を持ち幸せに暮らすことです。僕は実体験としてないので、各家庭の実態というものがわからないのですが、
ちょっとした喧嘩などが夫婦でありながらも子供と一緒に成長していくというのが、そうじゃないのかなと思います。今回は日本語で書いているので、日本だけに絞らせてもらうのですが、
今日確かに犯罪が多くなり、子供にとって少し危ない環境にあるのかもしれませんが、それでも平和に子供たちが夕方になるまで公園、もしくは友達の家で遊んで帰ってくる。そして、子供が帰ってきて一緒にご飯を食べながら、今日あったことを話す。なんだか理想な感じで想像するだけで平和すぎて泣けてきます。最近涙もろいので。そして、明日もそんな平和で安全な暮らしが来ますようにと心の中で願いながら今日を終える。そういう何気ないいつもと変わらない一日を送るというのが幸せなのではないのでしょうか。
 
また家庭の幸せだけではなく、美味しいものを食べているときのあの一瞬の幸せ。仕事を終えて一杯目のビールを飲んだ瞬間など一瞬の幸せが日々にあふれているというのもあるのではないでしょうか。
 
あえて幸せを二つに分類するならば、上に書いた例のように
 
 
毎日の幸せ(長いスパンで見た時の幸せ)
 
 
一瞬の間の幸せ(これはいわゆる満足に当たるのかもしれませんが満足も幸せと今回は定義します)
 
 
の二つに分類されるのではないかと思います。
人類が生まれ狩りをし生活をし始めた時から、幸せというものはあると僕は考えています。
確かに毎日の忙しい日々の中でなかなか言語化など、やっぱりしんどいことや自分が長くやっていることの方が頭に残りやすいと思うのですが、
毎日どこかに絶対に幸せというものがあるのではないでしょうか。
もし自分にはないと感じるのならば、幸せを作ってみてはどうでしょうか。
例えば毎日電車に乗るならば、足腰の悪い人に席を譲ってあげることや、道に迷っている観光客の方々に道を教えてあげることです。
僕もイライラしているときは、傲慢な態度をとってしまいがちですが、そこを一瞬抑えていいことをしてみる。そうすれば、何だが幸せな気持ちになります。
他にも子供が好きな人であれば、赤ちゃんの顔を何気なく見てみる。笑った顔を見るのは本当に癒されます。他にもYouTubeやその他音楽機器で自分の好きな音楽を聴いてみるとかです。
自分の今の気分の音楽を聴いてみることをお勧めします。音楽はいつも私たちの味方です。
 
 
少し例などが多く長くなってしまいましたが、こんな感じが一般的な幸せというものではないでしょうか。
 
 
次に僕にとっての幸せとはなんなのか。そんなの別に読みたくないよーとか思うかもしれませんが、ちょっとだけお付き合いください。何も出てこないですけど。
 
 
僕にとっての幸せとは
 
僕にとっての幸せとは。僕にとっての幸せは、いつもころころ変わります。小学校の時遊戯王というカードゲームをやっていたのですが、その時みんなで遊ぶことやカードのパックを買うことが
なんとも言えない幸せでした。あと友達とデッキを作って闘うのですが、その時自分で一から勝つためのデッキを作るのが僕にとって毎日の幸せでした。
また中学や高校の時は、塾に行くことが毎日の幸せでした。僕は勉強はあまりできないですが、塾の先生と話すことや塾の友達と受験の話をすること何気ない話をすることが本当に幸せでした。
今思うと自分の精神のよりどころとなっていた気がします。(日本語あってるかな?)なので、まとめると小学生の時はどちらかというと物に対して幸せを求めていたので、いわゆる一瞬の幸せですね。そして、中高生になると僕は場所に幸せを求めていました。つまり、自分がそのある一つの環境に身を置くことが幸せでした。それは、自分の居心地のいい所にたまたまいただけなんですけどね。
 
そして、大学生となって僕の幸せというのは、今感じるのは一瞬の幸せと環境の幸せどちらも合わさることが僕の幸せとなっています。僕も大学生になり少しは賢くなりました。嘘つけとか損南道でもいいから早くという声が聞こえてきそうですけど、お許しを。といってもまだまだですけどね。話を戻すと、僕の言いたかったのは、大学生になり自分でバイトをしお金を稼ぎそのお金で、例えば僕の場合は本を買ったりどこかに行くためのお金に使ったりとできるようになったことが本当にうれしいです。とともに、僕はじっとしているのが、どちらかといえば嫌いなので、外に出てイベントに参加するということを頻繁にしています。(結構行ってるつもり)そして、そこで新しい人と出会い、今まで自分が考えたことがないことや今の自分には腑に落ちないことなどいろんな話を聞くことができます。それが今の僕にとっての幸せです。確かに遊ぶことも楽しいのですが、最近何して遊んでいいのかわからないので、遊ぶこと自体に幸せをあまり感じることがなくなってきました。けれど、これからは遊ぶことにも少し工夫をしてもっと楽しくなるようなことをかんがえてみたいと思います。
幸せは受け身では最近は来なくなってきたので、自分で作りだしいかに満足できる一日にするのかということを積極的に考えていきたいと思います。そのためには、やっぱり努力も大事だと思うのでそれに対して焦点を当てながら生きていきたいと思います
 
こんな感じが僕の幸せに対する考えです。少し話はずれたりしましたが、僕の思っていることを書きました。
 
読んでいただいてありがとうございました。気まぐれでテーマが突然変わったりするのはご了承ください。これにて今日は終わりです。
 
 


高橋優「福笑い」MV(2015ver.)

 

最後にこの曲を貼っておきます。僕が友達に教えてもらった曲です。この歌個人的にすごく気に入ってるので。