平和は来るのか
こんにちは、炭酸水ケンタです。久しぶりの更新になりました。最近は、あまりパソコンに触りたくない期間が続いてまして、
ずっと本を読むとか、外に出てあてもなくふらっとどこかに行くこともありました。
だいたいどこかの本屋目指していきます。たまに好奇心で少し危なそうな道を通ったりと、スリルはあまりなかったのですが。
そんなこんなでブログをほったらかしにして、ずっとほっつき歩いてました。もちろん生活は普通にしてました。
健康には人一番気を付けているので。そこだけは自身あります。
雑談はこれくらいにしておいて、今日のテーマに行きます。
今日のテーマは 平和 について話したいと思います。
平和というと、日本の中では、当たり前のように毎日平和な世界がいいなとか、もっと平和になったらいいのになとかつぶやかれたりします。
まずは、日本という一つの国の中だけで考えてみると本当はどうなのでしょうか。平和なんでしょうか。
答えはもちろんイエスです。
けれど、平和の定義というのは何なのでしょうか。テロや戦争が全く起こらずに毎日安心して暮らせることでしょうか。それとも、犯罪が全く起こらずに新の意味で本当になにも起こらない世界になることなのか。
案外、あいまいな感じだと思います。
僕の中でもすごく曖昧なのですが、僕自身は、テロや戦争などが起こらなければ平和ではないのかなと思います。
少し話が変わるのですが、平和というのは、本当に存在するのでしょうか。
先ほどまで日本は平和な国とかという話で、平和というのはあるのかもしれませんが、
世界中での平和について考えてみると、地球全体を見た時には、平和は絶対存在しない気がします。
なぜか?一言でいうと、面白くないような世界になってしまうからではないでしょうか。
連日のように、ニュースなどで犯罪が起きて人なくなってしまったとか、戦争が起きて大変そうとか思ったりすると思うのですが、結局根本な解決策というのは、絶対にないはずです。人類これまで何千年間と生きてきて、哲学をはじめてとして、様々な学問が生まれてきました。
こんなにも、頭がいいのにも関わらず根本問題というのは、何もなくなりません。
確かになくなるのかもしれませんが、会議などになると必ず平和になることと反対の主張をする人や、自分の利益を優先して考える人というのが
後を絶たずにここまで引きずってきています。
どちらか言うと、悪の方面の方が7:4くらいの割合でずっと勝ってきているような感じがします。
だから、本当の平和は来ないのかと言われると、イエスと言いたいところなのですが、あえて今回は ノーと言っておきます。
なぜなら、人間は賢いから。人種差別の問題なども昔は黒人の人たちが差別されていて、太刀打ちできない状況でした。けれど、昔よりは断然いい環境になったところを見るとこれからの人類には希望はあるではないかと思ったりします。歩みは確かに遅いかもしれません。解決に至るまでに何100年とかかるかもしれません。けれど、時間というのを待ち解決していくしかありません。また、世論を変えていくというのも手かもしれません。世界を変えていくのです。一人では決してできないことかもしれませんが、
世界の人は平和を求めています。
安心を求めています。
一人では無いことは確実です。
頑張りましょう、と言っても何も始まらないですが、やりましょう。
これで今日は終わります。読んでくださってありがとうございます。