kentatansansuiのブログ

このブログでは、いろんなことをもっと根本の所からみてもらおうという思いの元書いております。普段あまり哲学的なことを考える機会がすくないのではないでしょうか。哲学というのは日常生活にあふれており普段からなじみのあるものです。一緒に哲学を考えてみませんか。日常の疑問についても書いていきたいと思っています。

本当に情報に氾濫した中で生きているのか

こんにちは、炭酸水ケンタです。今日も家にいます。暇ですね。
なんて悲しい春休みなのでしょうか。明日こそは外にでて思いっきり遊びたいですね。
子供のように。あの頃が懐かしい。
昔は、家に閉じこもるのが嫌いで遊ぶ約束をしなくとも、公園に行けば誰かいる精神でいっていたのに
今となってはそれはあり得ないです。でも、出かけても、いつも一緒の所に行きいつも一緒の事をして帰る、
これも退屈極まりないので、ただ疲れるだけになることが多いです。
だれか遊び方を教えてくれる人はいないのでしょうか。という独り言です
 
そんな独り言はほっておいて、今日のテーマに入っていきたいと思います。
 
今回のテーマは  情報 についてです
 
 
先日情報についてディスカッションをする機会がありまして、いろんな意見が出てきました。
 
このディスカッションの内容というのは、主にあなたの見たその情報が本当に信頼できるのか
 
ということに関するディスカッションです。
 
その中で、出てきた意見としては、結局自分の中で信頼できる情報というのは、実行者した人から聞いたことに限られるのではないかといった意見です。
 
実行者というのも、多種多様にいると思います。例えば、友達が実際にアメリカに行き体験したことを伝えてくれたことが信用できる。
また、旅行についてのブログなどは自分が体験したことをもとに書いているので信用ができる。
 
このような意見です。
 
他にも、ユーチューバーもその部類に入るのではないかなと思います。
 
そんなことを踏まえて今回はブログを書いていきたいと思います。
 
テーマにある情報というタイトルでは範囲が広すぎるので今回は 
 
若者は本当に情報に氾濫した中で生きているのかについてを書いていきたいと思います。
 
 
若者は本当に情報が氾濫した中で生きているのか
 
今日、スマートフォンが誕生し、SNSが流行りになり、いろんな情報が飛び交うようになりました。
 
昔は紙媒体の物が最も信頼できる情報源となっていたものが、今日ほとんどの若者がそれを忘れ去り
 
機械の中に映し出される情報でほとんどすべてを調べるようになりました。
 
その理由としては、機械の媒体が生み出されことによる集中力の低下と共に、いかに短時間でそれを済ませることができるかといった時間の短縮化が
 
できるかだと思います。短縮化というとなんだか聞こえがよく感じられるとおもいますが、裏を返せば考える時間が減ったということです。
 
そして、インターネットを使う人が多くなったのでユーザーの人たちが興味のあることについての情報を読み取りそこから
 
よく調べるものを機械がデータをもとに計算し表示してくれる。
 
なので人によって検索のヒットの仕方が変わってくる。
 
ということはどういうことかというと、情報がその人の中で氾濫しているのではなく逆に狭くなっているのではないかということが言えます。
 
好きなものの情報だけが、最初の方に表示されそれのみを見る。世の中としては情報は氾濫しているように見えますが、一人一人からしてみると
 
全く情報にあふれていないような感じがします。
 
またそこから導かれた情報というものは非常に浅いところの情報なので、それをすべて鵜呑みにしてしまいがちになっています。
 
その傾向が顕著に表れているのが今の若者だと思います。
 
全員が全員そうだとは言いません。その中でも浅いところの情報だけではなくもっと深くまで掘り下げて一つの情報をしっかりと理解するという
 
ことを行っている人は少なからずいるはずです。
 
わかりやすい例を使えば、勉強です。
 
何でもそうなのですが、浅いところを勉強し続けてある程度外枠やその中身についてわかってくるとは思います。
 
けれど、それだけでは全てが見えないはずです。深いところまで勉強し続けたからこそ見えるものがあるものがあると思います。
 
それと一緒で情報も浅いところだけで終わらずに、もっと深くまで掘り下げて掘り下げてみていくと全く違う角度で見えてくるのではないかと思います。
 
そうすると、最初に戻りますが、情報の真偽というのが明確になっていくのではないかと思います。
 
今日はこれにておしまいにしておきます。読んでくださってありがとうございました。