kentatansansuiのブログ

このブログでは、いろんなことをもっと根本の所からみてもらおうという思いの元書いております。普段あまり哲学的なことを考える機会がすくないのではないでしょうか。哲学というのは日常生活にあふれており普段からなじみのあるものです。一緒に哲学を考えてみませんか。日常の疑問についても書いていきたいと思っています。

些細な発見

こんばんは、炭酸水ケンタです。久しぶりにパソコンのキーボードを叩くと全然タイピングができなくなっていることを実感するこの頃です。
タイピングと言えば、去年の冬になるくらいからタイピングができないことに気づき、練習していたあの頃が懐かしいです。僕自身タイピングの練習をゲームみたいな感じで練習していたのですが、だんだん飽きてきて、自分が全然キーボードの位置を覚えれないのでイライラしていました。今思えば、ブログを書くのが一番練習になるんじゃね、とか思ったりして。もう時すでに遅しですが、300wpm目指してこれからもパソコンのキーボードをたたき続けます。次回に続く・・・。
 
てな感じでパソコンのタイピングにもそれなりに練習がいるよなとか実感したこの頃です。
 
さて、今日の話題に入っていきましょう。
 
今日のトピックは、、音楽についてです。音楽というと不思議な力を持っていて、みんなを元気にしたり時には、悲しい気持ちにしたりとまるで魔法のようなものです。
少なからず、スポーツを嫌いな人がいたとてしても、音楽が嫌いな人ってあんまりいないんじゃないかなって思います。
音楽の授業が嫌いでも、それぞれロックなり、バラードなり好きなジャンルの音楽があるはずです。
 
けれど、音楽が流れている空間にいってなぜこの音楽が鳴っているのかなどは意識したことがありますか。
僕自身ずっと音楽が流れている空間にいてもなにも意識せずにただこの曲知っているとか、この曲あんまり知らんとかだけ考えていました。
けれど、ある日学校の帰り道、都会に行きそして地下を歩いていました。そこにはいつも通り人が行きかっており、いつものようにこの人達本当に歩くの遅いなとか考えながら歩いていました。
そんな時音楽が耳に入りました。すごいゆっくりとした音楽で歌っている人も、柔らかな声で歌っています。その時に思いました。この人たちが遅いのは音楽のせい?
そこで、ふと学校に行き道の事を考えていました。学校に行くときはみんな早歩きで歩いたり、電車の時刻に間に合わないので早歩きしたりと動きが割と早めに動いています。
そして音楽は通勤時にはかかっていないことが多い気がします。朝が早いというのも理由の一つでしょう。けれど、本当にそうなのかという疑問もわいてきます。
そして僕はゆっくりとした音楽がかかっているにも関わらず、早歩きなのに、みなはゆっくり。これは単なる普通の現象なのでしょうか。
 
人によって違う疲れているだけやろ、とかいう人もいるかもしれませんが、ここはひとついい例を挙げてみます。
食べる速さと音楽の速さの関係です。
音楽のゆっくりとした、フレンチレストラン(フレンチレストランにあまり行きませんがそんな感じを想像してます)、スタッフたちの動きも俊敏だけれども、ゆっくりとした動き、そしてそこにくるお客さんたちもいつもよりゆっくり会話を楽しみながらフルコースを食べる。これは、偶然でしょうか?僕は必然的に起きたように感じます。
 
このように普段意識していないところになにかが隠されている、面白いと思いませんか?まるでディズニーランドで隠れミッキーを探すような感じです。
 
そして、結論として思ったのが、現象には必ず理由があると福山雅治演じるガリレオがいったように、周りの何気ないところには不思議やからくりがあるということです。
 
もし、なにか見つけたら教えてください。あなたにとっての隠れミッキー的発見募集しています。
 
これで終わります。読んでくださってありがとうございました。


Don McLean - Vincent ( Starry, Starry Night) With Lyrics

 

最近言語学の先生が教えてくれた歌と一緒に終わります。