kentatansansuiのブログ

このブログでは、いろんなことをもっと根本の所からみてもらおうという思いの元書いております。普段あまり哲学的なことを考える機会がすくないのではないでしょうか。哲学というのは日常生活にあふれており普段からなじみのあるものです。一緒に哲学を考えてみませんか。日常の疑問についても書いていきたいと思っています。

優しさについての考察

こんにちは、炭酸水ケンタです。今日は久しぶりに学校に行く機会があり学校にて執筆しております。と言っても、書類一つ出しにいくだけですけどね。しかも一人で行く学校はなかなか悲しくなるものです。けれど、読みたかった本を借りることができたので今日は良しとしておきます。学校にいくまでの道のりを歩いたりもしているのでいい運動にもなりました。運動不足解消にはまだまだ程遠いですけどね。あの頃は運動してたのに、今はこの通りただの怠け野郎になってしまいました。改善できるように頑張ります。
 
雑談はこれくらいにしておいて、今日の本題に入っていきたいと思います。
 
今日のテーマは 優しさについて です。
 
やさしさと言われるとどんなことを思い浮かべますか。
思い浮かべやすいのが、おばあちゃんの荷物を持ってあげるシーンではないでしょうか。
おばあちゃんが荷物を重たそうにして、横断歩道を渡っている、このままじゃ赤になってしまうかもしれない。だから、私が助けてあげなければ。といった感じの風景です。
まあこれもメディアの影響かもしれませんが、一番わかりやすい例だと思います。確かにこの部類の優しさもあります。けれど、今回僕が書きたい優しさというのは、成長するための優しさです。
先ほどのおばあちゃんの例はもう使えないので別の例を使ってどういう意味かについて書いていきたいと思います。
 
学生時代アルバイトというのをしたことがあると思います。アルバイトというと確かに大学生にとっては、貴重なお金を稼ぐ手段の一つになります。他にもブログをするとか、自分で会社を作ってビジネスをするだとかありますが、簡単なものではないのでここでは省いておきます。
 
話を戻すと、アルバイトをしていると怒られた経験はありませんか。「そんなことはないぜ、優秀やしむしろバイトリーダーやから上に立つ存在やねん」という人はいいのですが、一般的には怒られることもあると思います。
 
その時、それは単に怒られてムカついて終わるのはもったいなくありませんか?
怒られたというのは、きっともっとできるから怒られたのであって、無理な人に対しては絶対怒らないような気がします。僕が言いたいのは、その怒りというのは、やさしさの怒りであって、ただ叱られているだけではないということです。
僕も、叱られると最初はこの人ムカつくとか思ったりしますが、後になると怒られたことが頭に残っていて、それが成長につながることが多い気がします。怒られたら、やり方を変えようとしますよね。姿勢を変えようとしますよね。
それこそ成長なのではないでしょうか。それこそ、やさしさではないでしょうか。
 
もし、怒られずにほったらかしにされ、何も言われなければどうでしょうか。また、言われるけどすごく優しく言われるとどうでしょうか。確かにこの人優しいな、とは思いますが、何も言ってくれないんだなとか思ったりします。
 
それは、時に孤独につながり、不安を与えてしまうのではないかと思ったりします。
人によっては違うのかもしれませんが、人は孤独を嫌いいつでも同調を求めて歩き回っています。
 
なので、怒るというのは、ポジティブに言うと同調に入っていることの証なのではないかと。怒られたら作業効率が下がるといったデーターも確かに存在はしますが、そればかりが正しいということではない気がします。
 
 
なので、怒ることはたいせつなのではないでょうか。間違えてはいけないのは、人を殴ったり蹴ったり言葉の暴力をしては絶対にいけないということです。
 
 
それを気を付ければ、怒ることは悪くないようには僕は思います。
 
 
今日はこれくらいにしておきます。読んでくださってありがとうございました。