kentatansansuiのブログ

このブログでは、いろんなことをもっと根本の所からみてもらおうという思いの元書いております。普段あまり哲学的なことを考える機会がすくないのではないでしょうか。哲学というのは日常生活にあふれており普段からなじみのあるものです。一緒に哲学を考えてみませんか。日常の疑問についても書いていきたいと思っています。

別の見方からチャレンジ

こんばんは、炭酸水ケンタです。


突然ですが、何か最近面白くないなと思ったことはありませんか。どうして面白くないのでしょうか。立ち止まって考えたことはありますか?僕は、今まで面白くないとただ単にこれがおもしろくないだけ、とか、この人と遊んでても全然おもしろくないだけやん、とか思っていました。
けれど、本を読むようになってからその考え方が少しずつ変わり始めました。
僕自身、本を読んでいて、うわっこの本面白くないと思うことが多々あります。この現象一体なぜ起こるのでしょうか?僕自身考えたのですが、単なる情報の不足のような感じがします。
例えば、カフカの変身を読んだ時。カフカ自身両親との関係があまりうまくいっておらず、そのことが変身という本の中にも現れています。
もちろん読む前はこんなこと知らなかったので、興味は全く湧かず、全然面白くないなーと思っていました。けれど、その情報を頭の片隅に置いた瞬間それは変わりました。
この本ってこんな見方があるんだ。この本ってこんなに面白いんだ、に早変わり。
不思議だなと思います。
これって反則じゃないの?とか、そんなん知ったら面白くなくなるんちゃうとか言った意見があるとは思いますが、楽しめるなら僕自身いいと思っています。


あの大の本好きで知られる又吉さんは、このように言っていました。
(言葉は自分なりにアレンジします。引用ではありません)
本を読むときはいつもワクワクしながら、ページを開くのです。少なからず、この本を面白くなかったと言うことはありません。自分がただ単にこの本の面白さをわからなかっただけであって、楽しみ方を間違えただけであると。

 


このことを読んだ瞬間その通りだなと思いました。と同時に、これは本に限られることだけではなくあらゆるところに応用することもできます。そして、こう感じることは、人の幸福度を高めることにもなり、ポジティブに生きられるようになります。


なので、ぜひチャレンジしてみてください。これ面白くないなと思ったことに対して、別の見方からもう一度チャレンジしてみてください。
きっといい発見が待ってると思います。


これで今日は終わります。唐突に思いついたトピックなので、思いついた瞬間に書きました。なので、今回のみ雑談は無しになっております。

健康思考な大学生

こんばんは、炭酸水ケンタです。

夜遅くにブログを書きます。というのは、今お腹の風邪をひいていまして学校を休んでいます。なので、家でゆっくりと体調を回復させていました。
風邪をひいて熱を出した時にいつも思い出すあの受験の時の国語の問題文の内容。
仮病で学校を休むと罪悪感に苛まれるが、ちゃんとした風邪や熱などで学校を休むと何も気にせずにゆっくり寝ることができる。当然会社などに入れば立場はまた変わるのかもしれませんが、学校はまだこの状態で居られることができます。これって本当に幸せだと最近思います。
ましてや大学生となると別に学校休んだからってなんの問題もありません。ないことはないのですが。行ったら行ったで、なんらかの収穫はあると思いますが。
なので、最近は大学生であることの幸せを噛み締めながら生きています。ずっと続けばいいのにとか甘えたりしたことも言いながら、本当に続けたいなとかいう本気の気持ちになってきたりしています。

 


雑談はこれくらいにしておいて、今日のお題に入っていきます。
今日のお題は、最近体調を崩してしまったこともあり、健康であるための工夫ということについて書きたいと思います。
もう体調崩してるやつに言われたくないしとか思うかもしれませんが、自分が経験した中で書きたいと思いますので、もしよろしければこのままご覧ください。


自分が身体が弱いんじゃないかと気付き始めた高校三年生の時。インフルエンザやノロウイルトと言った特別しんどい病気にはかからなかったものの、胃腸炎や肩こりのせいで身体がしんどくなったりと慢性的に体を壊していました。
その時は、まぁみんなこんな感じなんだろうなとか少し思っていたので、あまり深く考えなかったのですが、大学に入ってみるとそれは少し変わりました。受験から解放されたこともあるのか、周りのみんなはすごく生き生きしていました。もちろん僕も生き生きしていたと思います。けれど、その差を実感し始めてきた二年生、三年生。あれ、みんななんでそんなに身体が強いの?えっ、風邪引かないの?えっ、もしかして、不死身とか思ったりしていました。もちろん風邪をひいても別に報告する必要性はないので、知らなくて当然です。けれど、僕は身体が弱いとか風邪をよく引くとか口に出してしまうタイプの人間、俗に言う喋りたがりの人なので、自分の中で他人と比べてしまう。そして、大学生の若さにもかかわらず、健康に気を使う毎日を過ごすことになっていきました。例えば、夜は、12時半までに寝るとか、6時間以上は睡眠を絶対にとるとか、昼寝はできるだけするとか。また、野菜は絶対に食事の中でとるとかです。マスクを着用することもあります。
こんな感じで、大学生活を過ごしてきました。
そして、自分の不健康生活を省みてみるとあそこがダメだとかここのせいで風邪・熱を出してきたのかなというパターンのようなものが見えてきます。まだ確信はありませんが、なんとなくです。そこのピンポイントをつけば、風邪を引かなくなるのではないかとか、なる前に自分でセンサーみたいなものを感覚的に身につけて、自分で管理すればいいのではと思いました。たしかに、忙しくてそんな暇ないよとかいう声も聞こえてきそうですが、優先順位を変えれば寝る休憩したいという体の叫びに応えることもできるのではないかなと思います。そのおかげでパフォーマンス能力も上がったり集中力が増したりします。なので、休憩をとることも仕事のうちという言葉はあながち間違っていないと僕自身思います。
そして、健康管理という項目も作り自分の優先順位に入れてもいいのではないかなと思ったりします。
具体的にこれというのは人によって異なると思いますので、あえて控えさせていただきたいと思います。


ぜひ、これからも健康に気をつけながら、生活を送っていきましょう。健康第一です。
身体は大切です。


読んでくださってありがとうございました。
次回もよろしくお願いします
 

些細な発見

こんばんは、炭酸水ケンタです。久しぶりにパソコンのキーボードを叩くと全然タイピングができなくなっていることを実感するこの頃です。
タイピングと言えば、去年の冬になるくらいからタイピングができないことに気づき、練習していたあの頃が懐かしいです。僕自身タイピングの練習をゲームみたいな感じで練習していたのですが、だんだん飽きてきて、自分が全然キーボードの位置を覚えれないのでイライラしていました。今思えば、ブログを書くのが一番練習になるんじゃね、とか思ったりして。もう時すでに遅しですが、300wpm目指してこれからもパソコンのキーボードをたたき続けます。次回に続く・・・。
 
てな感じでパソコンのタイピングにもそれなりに練習がいるよなとか実感したこの頃です。
 
さて、今日の話題に入っていきましょう。
 
今日のトピックは、、音楽についてです。音楽というと不思議な力を持っていて、みんなを元気にしたり時には、悲しい気持ちにしたりとまるで魔法のようなものです。
少なからず、スポーツを嫌いな人がいたとてしても、音楽が嫌いな人ってあんまりいないんじゃないかなって思います。
音楽の授業が嫌いでも、それぞれロックなり、バラードなり好きなジャンルの音楽があるはずです。
 
けれど、音楽が流れている空間にいってなぜこの音楽が鳴っているのかなどは意識したことがありますか。
僕自身ずっと音楽が流れている空間にいてもなにも意識せずにただこの曲知っているとか、この曲あんまり知らんとかだけ考えていました。
けれど、ある日学校の帰り道、都会に行きそして地下を歩いていました。そこにはいつも通り人が行きかっており、いつものようにこの人達本当に歩くの遅いなとか考えながら歩いていました。
そんな時音楽が耳に入りました。すごいゆっくりとした音楽で歌っている人も、柔らかな声で歌っています。その時に思いました。この人たちが遅いのは音楽のせい?
そこで、ふと学校に行き道の事を考えていました。学校に行くときはみんな早歩きで歩いたり、電車の時刻に間に合わないので早歩きしたりと動きが割と早めに動いています。
そして音楽は通勤時にはかかっていないことが多い気がします。朝が早いというのも理由の一つでしょう。けれど、本当にそうなのかという疑問もわいてきます。
そして僕はゆっくりとした音楽がかかっているにも関わらず、早歩きなのに、みなはゆっくり。これは単なる普通の現象なのでしょうか。
 
人によって違う疲れているだけやろ、とかいう人もいるかもしれませんが、ここはひとついい例を挙げてみます。
食べる速さと音楽の速さの関係です。
音楽のゆっくりとした、フレンチレストラン(フレンチレストランにあまり行きませんがそんな感じを想像してます)、スタッフたちの動きも俊敏だけれども、ゆっくりとした動き、そしてそこにくるお客さんたちもいつもよりゆっくり会話を楽しみながらフルコースを食べる。これは、偶然でしょうか?僕は必然的に起きたように感じます。
 
このように普段意識していないところになにかが隠されている、面白いと思いませんか?まるでディズニーランドで隠れミッキーを探すような感じです。
 
そして、結論として思ったのが、現象には必ず理由があると福山雅治演じるガリレオがいったように、周りの何気ないところには不思議やからくりがあるということです。
 
もし、なにか見つけたら教えてください。あなたにとっての隠れミッキー的発見募集しています。
 
これで終わります。読んでくださってありがとうございました。


Don McLean - Vincent ( Starry, Starry Night) With Lyrics

 

最近言語学の先生が教えてくれた歌と一緒に終わります。

差異 ➕ イノベーション

こんばんは、炭酸水ケンタです。雨ですね。

関西圏では結構雨が降りました。もうずぶ濡れで最悪です。水たまりに足をバシャッっといきました。なんだか、女子高生みたいな感じですね。勝手な偏見か、、


ちょっと自分の話になるのですが、最近個人的にシャーロックホームズにはまっています。
この前もシャーロックホームズで少しブログを書きましたが、本当に面白いです。
というか、ベネディクティト・カンバーバッチかっこよすぎます。本当に惚れるぐらいカッコ良いです。もし少しでも興味があるとか思った方がいたらみてください。ネットフリックスとかで見ることができます。ネットフリックスではなくても見れるかなと思うので、見た方語りましょう。といってもそんなにまだ詳しくないのでこれからもっと詳しくなっていきます。予定ですけど、、。


あと、最近スペイン語にもはまっています。英語と違って男性名詞があったり女性名詞があったりと覚えるのがしんどい部分もありますが、結局英語とそんなに変わんないような感じがするので、英語のここと一緒やなとか考えながら勉強すると案外楽しく勉強できます。レッツ、ラーニング スパニッシュです。


雑談と僕の話はこれくらいにしておいて、今日のお題に行きます。
今日は考え方の違いについて話します。
先日友達と遊んでいて、ある店に入って友達とその店員さんがお知り合いらしかったので、話していました。その方はとても優しい方だったので僕も話に加わることができました。
その時にあった会話の内容で疑問に思ったことがありました。
再現します。一部を切り取った形になるのですがご了承ください。
少しこじんまりしたお店の中で、


店員さん 「もうお昼ご飯食べたの?」
友達          「もう食べました。」
僕              (心の中で)「まだ食べてないや        ん、、」
僕              (友達に対して)「まだご飯食べてないやん」
友達          「なんでいうんよー」


3人で          笑笑 


友達          「そこは優しさで言ったんやん、もしかしたらお昼ご飯食べてないっていたら心配するかもしれんやん?」


僕              「でも、食べてないやん? 食べてないって言ったらいいんちゃうん?」


この会話怒っていないです。(注意)


店員さん    「そこは 友達くんの優しさやったんちゃう?」
実名を出すとダメなので、友達くんとしています。ご了承ください。


僕               「でも、食べてないって言っても話し続けれるで、なんか心配されるかもやけど、丸く面白おかしく終わったらいいんちゃう?」

 


と、こんな会話をしていました。長くなりましたすいません。後、しつこいですけど、関西弁になっていますが、怒っていません。
関西弁で書くと僕自身自分で書いていて怒っている文体になるなーとか思います。けれど、お許しください。


話に戻りますが、こんな感じで考え方の違いがありました。


僕の 場合なんでも正直に言ってしまうたちなので、なんでも正直に言ってしまいます。まぁ、つまりのところ何も考えずに会話している証拠でもありますが、僕は僕なりの考えがあって正直に言っています。けれど、友達の場合は、相手のことを考えながら話しています。


この考え方の差異は一体どこから生まれるのでしょうか。本当に不思議でした。こういったことありませんか?
僕自身こういう体験が非常に多いです。
その度にそれ失礼やでとか言われたり、なんでそんな考え方なんとか言われたりとうーんとなります。(またそれは別の人に言われます)


でも、この考え方の違いによって、僕はよく頭を回します。そして、学びます。
1つ1つの考え方の違いが学びを生む、高校生のときに考えたことありませんでした。考え方の違う人は、仲間外れにされるもしくは、変人扱いされるという感じが今まででした。けれど、それは違いました。考え方の違いは、新たな考え・発見を生み出し人を受け入れられるようになる、そして人の考え方の見えない部分について見えてくる、そうなるような気がします。
例えば、それはお笑い芸人の話し方にもあるのではないでしょうか。何気なしに見ているテレビにもその人の考え方・指針がありこう話しているとか、こうボケているとか。このように考えるだけでも、テレビが面白くなりそうですね。それがまた、プレゼンテーションにも生かされたり、普段の会話にも行きてきたりする。


何事も奥が深いです。


話がまとまりませんが、僕の言いたかったことは、かっこいい言葉で言うと、


差異➕イノベーション があるのではと言うことです。


これで終わります。
読んでくださってありがとうございました。
文を書く練習もします。これからも炭酸水ケンタのブログをよろしくお願いします。
 

自己中心性の中毒

 


こんばんは、炭酸水ケンタです。絶賛5月病です。毎年5月病になっているような気がしますが、一体5月病とはどこから生まれたのでしょうか?本当に最初に5月病という言葉を聞いた時なんで5月やねんとか思いました。僕は、逆に6月のほうが苦です。梅雨に入りジメジメして来る季節になります。それと同時に、電車などに乗ると異様な湿気の匂いや汗をかいた時のジメジメ感。本当に最悪です。というか、もっと根本的なところを言うと日本で生活してること自体が僕の場合5月病のような症状を生んでいるような気がします。5月病恐ろしいですね。
気をつけましょう。


さてと今回のテーマにいきたいと思います。今日はいつもより少し重たい内容になるので、心してかかって下さい。と言っても、最後はハッピーエンドが待っています。と、種明かししたところで、本題にいきます。


今日の本題は、人間関係と自分自身の幸福感についてお話ししようと思います。人間関係というとどういうことを思い浮かべますか?
色々とあると思います。例えば、男女のいわゆる恋人関係、友達との友情関係、会社員の人達との同期の関係など、様々だと思います。その関係とはどうやってできたのでしょうか。正直言って、僕も本当のところはわかりませんが、感覚から言うと同調意識や似た者同士が集まって関係ができて来るのではないかと思います。周りにいる人のことを思い浮かべて下さい。何となく似てませんか?
けど、この関係作るのは難しくて、壊すのはとても簡単です。本当に窓ガラスをパンチして割ったぐらいにすぐに壊れます。そして、壊れていくとどうなるか。コミュニティーなどに属している中であれば険悪なムードになります。そして、徐々にそれが伝染しやがてその中の満足度というのは一気に急降下します。そして、争いが起き、それが連鎖を生みやがて人のことを考えずにじぶんのことばかり考えてしまうと言うふうになっていきます。そうすると、毎日なんだか物足りないようなイライラするような感情を持ちながら生活していってしまいます。
僕にも実際そういうことがありました。人間関係が上手くいかず、毎日がしんどい日々。どうしてこんなにしんどいのかと毎日悩み続けてきました。そんな中でふと実践したことが自分の気持ちを前向きにするとともに人間関係が上手くいってるような感覚になりました。
それは何かというと、人を褒めるということ、そして人の役にたつ事をすることです。
それ自己満足じゃんと思いますが、違います。
自己満足を求めている人は、ひたすら自分の利益のことを考えてしまい満足感なんて決して得られることができないとおもいます。その感情を消して人を褒めてみる。なんでもいいんです。
それすごいですね。どんなことなんですか?
その服とても似合ってます。その髪型とても素敵ですね。などなど。
たしかに何か裏があるんじゃないかと思ったりしますが、言われた方ってすごく嬉しいですよね。あんまり嬉しくないという人も中にはいるかもしれませんが、心の中に安心感があるはずです。あーこれを選んで良かったとか。そして、この人とまた話そうとか仲良くしたいなとか思ったりすると思います。
そういうことを言った日ってすごくポジティブな気分になります。もっと言えば、幸福度が上がるような感じがします。
人のことを褒める。人の役にたつということは、自分を高めるとともに、相手の能力も高めることができる。それが成功体験のようなものになり、徐々に幸福度が上がります。
そして、人の気持ちを考えれるようになります。
こうやって生の連鎖を生み人生が変わっていくような気がします。この文は決して、啓発とかではありませんが、事実としてあるような気がします。
ぜひ実践してみて下さい。一日一回ステキなものを見つけて褒めてみる、また人の役に立ってみる。そんな毎日が幸せに感じること間違いなしです。
 

質を求める上で

こんにちは、炭酸水ケンタです。今日は電車の中でブログを書いています。学校が始まって家帰ってから書くのが体力的に辛くなってきたので、電車で書くことにしました。多分、書ききれずに授業中にも書くときもあるかもしれないですね。
大学生の皆さん僕のように携帯ばかり触らずにきちんと真面目に授業は受けましょう。授業料高いですからね。


去年の冬くらいにブログを始めたわけですが、なかなか続けるのが難しい。一度止めてしまうと、書くのが億劫になります。けれど、また始めると更新したくなるこの頃です。というわけで、また頻繁にブログを更新していきたいと思います。引き続きよろしくお願いします。


雑談が少々長くなりましたが、今日の本題に移りましょう。
今日は、質についてです。


説明はいらないと思いますが、質というのは、一言で言えばモノの価値みたいなもの。例えば、手の込んで作ったものは質も高くなり、それに応じて価値も上がっていく。(商品によるとは思いますが)


大学生になり、バイトを始めるようになると勿論のことながら、お金が自分の懐に入ってきます。そして高校生の時に比べると金銭的感覚が変わり始め、付加価値の高いものを買い始めます。と言っても、学校の授業もあるということで社会人のようにバリバリ稼ぐことはできません。けれども、ある程度はあります。その中で考えるようになるのは、今までは、懐に優しいファミリーレストランやファーストフードを食べていたのが、イタリアンレストランはたまたプチ高級レストランにランクが上がったします。他にも、今までは割と安い服を買っていたのが、少しブランド物に手を出して見ようかなという感じで少しブランド思考が芽生え始める。そういった変遷の中で、考え決めなければならないのがこれは本当に良いものなのか、つまり質の高い物なのかということです。


普段僕自身も質というよりは、値段の方に注目をして買っているのですが、やはり安いとその対価に見合った価値しか持たないというのが、最近わかってきました。けれど、色んな物に溢れコモディティ化されていっている世の中でどうやってそれを見極め、買えばいいのでしょうか。これは消費者にとって永遠の課題かもしれませんが、解決方法は有ると思います。


僕が考える解決方法なのですが、情報収集と比較です。シャーロックホームズの時も書いたのですが、ある程度の知識を完全に使える状態を頭の中に入れておき、それを使って多方面から考える。質の良いものを見極めるのもこれに限るのではないでしょうか?
またそれかと言われれば、それまでなのですが、全てはそこに終着点があるように感じます。


是非みなさんも試してはいかがでしょうか?
これをすることによって、商品に対するものだけではなく、もっと広く役に立つと思います。
少し説得力に欠けますがこれで終わりたいと思います。


読んでくださってありがとうございました。

楽しみ方

 


こんばんは、炭酸水ケンタです。学校が始まり、また通学生活が始まりました。今年こそは何かやりたいなとか思うのは、みな共通の思考だと思います。けれど、それを実際にやってみるとなると、それなりの努力が必要になってきます。


大学生になって感じるのは、勉強が今まで以上にだるくなってくるということ。僕自身生まれてこのかた勉強はあまり好きではないです。
日本史の教科書を目の前に置かれた時なんてため息が、まるで植物が光合成をして酸素を出すように、少しずつけれども途切れずに出てきます。


そんなことを考えながら、学校に着きます。
そして学校に着くと最初に目につくのは、4月初めの新歓の光景。皆はどう思うのかわからないですが、僕はこれを見るとまるで箱の中に入れられてはいないけど、満員の電車に飛び込んで行くような気分になります。それをかわしながら抜けて行くとまだ続く人集り。
本当に、オーマイガーです。抜けて行くと友達が新歓のブースを出していました。そこに一緒座って感じたことがあります。新歓ってなんて面白いんだろうかと。なぜ面白いのか?
人の心理学的に自分と一緒の雰囲気を持った人や自分の憧れる大学生像を持った人たちに寄っていく人が多くいます。少なくとも僕はマイノリティー側です。言い方が悪いので、言い直すとどちらかというとみんなでワイワイするのが苦手なので、少数で一緒に楽しむ側の人間です。なので、人を自分たちのブースに招き入れること自体が難しくなる。ここで、発揮するのが、プレゼン能力ではないでしょうか?
一年生に対して、短時間でプレゼンのようなことをして、自分のブースで話を聞いてもらった時の快感といったら本当にたまりません。これこそ、新歓の楽しみ方ではないでしょうか。
今回は新歓を一例に出しましたが、他にも色々あると思います。例えばアルバイト。アルバイトは、本来楽なものというイメージがありますが、しんどくしようとしたらいくらでもできる。考えることによって。


こんな感じで、僕のようにバイトしかやったことない人間にはこんな感じでバイトを楽しんだり新歓を楽しんだりできるのではないかと思いました。


今日は久しぶりではありますが、生活の中で思ったことを書きました。